情報は発信地から離れるほど正確性がないと思っていい
心理学辞典
心理学の全領域および関連する隣接諸科学の用語・人名を解説した、心理学辞典。
事項4021項目、人名347項目を五十音順に配列。
各項目における引用・参照文献と主著を著者のアルファベット順に配列した文献リスト、索引(和文事項、欧文事項、和文人名、欧文人名)がある。
「海外で売れた」は本当か?
どうも日本人はデータを過信するところがある。
数字という魔物に翻弄されるのはしかたがないとしても、あまり過信しすぎるのは考えものだ。
ビジネスではどこにでも数字がついてまわるのだが、データをどの程度信用すればいいのだろうか。
ここではどういうデータを信用し、どういうデータを信用してはならないかを考察しよう。
よく工場などで行われる生産性についてのデータ。
これは一般に信頼できる。
たとえば、月々の生産量はほぼ一定しているものだから、生産高がガクンと下がるようであれば、機材のどこかに異常が発生していると推測してほぼ間違いないのである。
次に、マーケティング・リサーチのデータ。
これも一般には正しい。
たしかに、調査ではよかったのに、市場に出したところさっぱり売れ行きが伸びない、ということはありえる。
が、ほとんどの場合、そうした心配は杷憂である。
昔のマーケティング・リサーチと比べ、最近ではコンピュータを使った高度な解析ができるから、きちんとしたデータさえとれれば予測精度は相当に高いのである。
では、海外から入ってくるデータはどうか。
これはかなり怪しい。
つまり、フランスで売れたとか、アメリカで売れた、というのはあまり信じないほうがいいのである。
なぜなら、心理学の調査によると、
データ発信地から離れれば離れるほど、そのデータの正確性は失われる
ということがわかっているからだ。
データ発信源が遠いほど、その間に人間が介入することが多くなるわけで、人間の憶測とか希望といったものがデータに入り込んでくる余地が増えてしまう。
情報としてのデータの精度は、離れれば離れるほど悪くなるのである。
1964年、アラスカでマグニチュード8.4の地震が起きた。
この地震による被害でどのくらいの死者が出たのであろうか。
クアランティリイという心理学者が新聞のデータを丹念に調べたところ、奇妙な出来事に気がついた。
つまり、地震の震源地から離れた地域の新聞ほど、死者の推定値を誤って見積もっていたのである。
次のデータを見てほしい。
これは震源地のアラスカから遠い地域で発刊されている新聞から順番に死者の推定数を示したものである。
| オハイオ州コロンバス | 1000 |
| シカゴ | 500 |
| シアトル | 300 |
| アンカレージ | 100 |
どれもこれもとんでもない数値だ。
というのも、実際の死者数はたった7人だったのだから。
新聞という公共のメディアでさえ、このような間違いを犯すのである。
データというのは、データをとった地域から離れるほど、とんでもない結果になってしまうのだ。
別の例では、東京で「たれぱんだ」というキャラクター商品が売れに売れていることが、テレビ等で大きく報道されていたことがある。
しかし、東京で売れたこの「たれぱんだ」は関西地区、とりわけ大阪ではそれほど売り上げはよくなかったという。
見方を変えれば、東京で売れたというデータは、関西地区にはそれほど役立たなかったのだ。
人の好みには地域性があるのだから、当然、データにも地域性がある。
したがって、鹿児島や沖縄でとったデータが北海道で通用するかというとそうでないように、海外で売れたという情報もある程度疑ってかからなくてはならないのである。
もうひとつこんな調査がある。
1986年にチェルノブイリで悲惨な原発事故が発生した時に、ニューヨークの新聞は死者2000人と報道し、旧ロシアの新聞は死者2人というデータを出した。
これは、政治的背景、情報統制、恐れ、希望など人々の様々な思惑や感情が、「主観的データ」を形成してしまうことを示す非常によい例である。
結論。
離れた地域から得られたデータを過信しないこと。
「インターネット時代だから、生の情報がすぐに手に入る」からといって安心してはいけない。
むしろ、情報が手に入りやすいぶん、さらに警戒心を強める必要がある。
距離的・時代的な差がある時には、普段のデータよりもずっと疑ってかかるべきなのだ。-----
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